「太陽を抱く月」でみる巫女(ムニョ)と文化
『太陽を抱く月』で星宿庁(ソンスクチョン)とともにキーワードになるのが“巫女(ムニョ)”です。
これらの登場する官庁や職業でドラマの歴史的な時代背景を推測することができます。では、巫女とそれに関連することを詳しくみてみましょう。
○巫女(ムニョ)
祭祀や祈祷を行い霊と通じ合うことのできる能力をもつ人を巫女といい、男でも「巫女」と呼ばれていた。人と神をつなぐ者と信じられており、半聖人のような存在だった。
またシャーマニズム的な存在として、人々のよりどころとなる者で、病気のときに巫女を呼んで祈祷をするのはこのためである。
巫女に求められる能力としては、神への祈りによって奇跡をおこすこと、呪術、予言である。ちなみに巫女には世襲巫と降神巫があり世襲は代々その能力が備わっている家系の者、降神は後から能力が備わった者や修行によって能力を得た者がなる。
圧倒的に女性が多く、司祭を行えるのは世襲巫のみ。聖物は鈴、太鼓、鏡の三つ。
李氏朝鮮王朝以前には政治的にも大きな影響をもっていたが、李氏朝鮮時代は儒教の影響で排除されるようになり、“国巫堂국무당(クンムダン)”のような一部の巫女を除き最下層の奴婢として扱われた。
そのような中、李氏朝鮮時代には民間信仰として残っていた。現在でも土着信仰として残っており、極彩色の衣装をまとい祈祷をしいたり、クッ(巫祭)といわれる儀礼が全国に残っている。
○活人署(ファリンソ)
もともとは高麗時代に民衆を救済する目的で作られた“大悲院(チビウォン)”が朝鮮時代の第3代太宗のころ“活人院(ファリンウォン)”と名称を変え、都城外の東西の門外に(東:東部燕喜坊付近、西:龍山付近)設置された。
改名は大悲院が仏教的な名称だったから(李氏朝鮮は儒教を推進)らしい。貧困に苦しむ民衆を集めて食事を施したり、病人の世話を行った。また伝染病が発生すると病人を隔離し、死者がでた場合には埋葬までおこなった。
1466年第7代世祖のとき東西活人院が統合され“活人署(ファリンソ)”となった。この活人署には複数の巫女が配属され、病人のために祈祷が行われた。
ここで働く巫女は星宿庁の巫女より格段に身分が下がり、最下層の賤民(奴婢)だった。他の役所と違うのはこれが城外に置かれたということである。一見、医療機関に思えるが実際はこの部署に行けば戻っては来られないともいわれ“殺人署”といわれたとか。。。このため三医司(内医院、典医監、恵民署)には含まれない。
☆おまけメモ:ここでいう都城外は漢城府(現ソウル特別市)の外のこと。李氏朝鮮当時は主要官庁は漢城府の中にあった。この中に入るには東西南北の大門を通らなければならない。