ドラマ『麗』でみる高麗王朝の時代背景と4代光宗の王位
韓国ドラマ『麗~花萌ゆる8人の皇子たち~」は原作「宮廷女官 若曦(ジャクギ)」のリメーク版ですが、時代背景は結構開きがあります。
原作は中国の清王朝、リメーク版は朝鮮(韓国)の高麗王朝です。
これだけ違うのによく状況が似た時代があったものだと興味深いですが、実際の高麗王朝の場合で『麗』のドラマの時代背景を知っておくとドラマの内容も楽しめますよ。
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ドラマ『麗』と高麗誕生の歴史と背景
高麗に統一されるまでの朝鮮半島は新羅・後百済・後高句麗の“後三国時代”といわれ事実上3つの国に分かれていました。
この三国の1つ後高句麗を建国したのが弓裔(クンイェ)ですが、その忠臣で将軍だったのが王建です。それを統一して「高麗」という国家を樹立したのが後高句麗の将軍王建です。918年に弓裔から王位を奪い高麗(コリョ)を建国します。
935年新羅最後の敬順王が国を王建に譲渡し新羅は滅亡しています。翌936年長年続いた高麗と後百済は分裂していたが、後百済の後継問題に便乗して高麗の王建が大軍を率いて後百済を攻撃し滅ぼし、936年統一王朝の高麗が誕生しました。
高麗誕生から4代光宗(ワン・ソ)までの歴史とドラマの背景
王建は三国の統一を成し得たものの、もともと王族や豪族の力が強く中央集権化に苦労していたためその懐柔策として新羅の貴族や豪族を家臣として迎え、地方をおさめさせることで国内統治の基礎固めをおこないました。そして有力豪族と婚姻関係を築くことで国政の安定に尽力するよう仕向けます。
その結果29人の妻に25人の息子と9人の娘が誕生し、後に国が安定してくると自分の一族から後継者を出そうと権力争いが活発になります。王権を強め力の均衡を保ととしたことが逆に姻戚に力を与える結果となりました。
この状況が原作「若曦」の康煕帝後の皇子による権力争いと類似しているため、ドラマ「麗」ではこの歴史背景を利用しています。ちょうど「宮廷女官 若曦」の中国清の康煕帝も多くの後宮とその皇子による後継者争い(35男20女うち成人したのは24男4女)が同じ規模ですね。
ただ「麗」では、実際は皇子のが後継者を巡って画策したというより、母親やその姻戚が息子に繁栄を託したと解釈するとすっきりします。豪族同士の覇権争いですね。(中国の清では皇子といえども母親の身分が出世に大きく影響した。これと同様に高麗でも母方の後ろ盾が地位の安定に欠かせなかった。)
高麗第4代光宗(ワン・ソ)の即位について
王昭(ワン・ソ)は王建の4番目の皇子です。太祖王建の死後2代、3代高麗王が在位間もなく若くしてなくなったため、王位がまわってきたようです。2代恵宗(王武ワン・ム)は長男だったが、母親の出身が高位の家門ではなかったため後継に不安をもった王建によってすぐに太子(=後継者)に冊封されています。
さらに恵宗は母方の後ろ盾が弱く即位して間もなく病死したため、その後継は忠州の有力豪族出身の神明順聖王后劉氏の一族が後継の座を引き継ぐことになります。その長男が3代定宗(王尭ワン・ヨ)で光宗(王昭ワン・ソ)の同母の兄です。
王建は亡くなる前に『訓要十条』(フニョシプチョ)という後代の王が守る教訓を遺言として残していてその中の第3条に「王位の継承は長男・長孫が通例だが、もしこれらが不肖の場合は次男に、次男が同じような場合はその弟の順とする。」と記されています。後百済が後継問題で滅亡したのを見ているためそれを教訓としたようです。
なお恵宗から王尭の後継は正統でないとの異議があり、王尭の王位は王規の乱(異議を唱えた反乱)を鎮圧した臣下の推挙によるものでした。その後の高麗王は太祖王建の皇子たち(異母兄弟)の系統で後継されており、必ずしも直系の長子ではありません。この辺りもリメイクの“皇子の後継争い”という物語を作り出す要因になっているようです。