韓国ドラマ「花郎」でみる韓国史の中の“花郎(ファラン)”

このドラマのタイトルにもなっている“花郎”は韓国歴史上の三国時代とよばれる国家のなかの新羅(シルラ)に実在した青年組織です。新羅時代のドラマで有名な「善徳女王」にも登場しています。花郎は青年軍事組織と言われたりしますが、どちらかといえば青年修練組織兼人材登用制度のほうが近いかもしれません。

 

「花郎」の誕生とは?

ドラマの中ではこの「花郎」が誕生したのはパク・ヒョンシク演じるジディ/サムメクチョン(のちの24代真興王チヌンワン)の母チソ太后になっていますが、実際はそれ以前よりあった青年自治組織が原型とされており、それを体制化したのが24代真興王と言われています。

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この“花郎”が史実としてでてきたのが※『三国史記』の576年(真興王37年)と1934年に韓国の慶尚北道慶州市(新羅の首都、金都kクムソンがあった)で発見された『壬申誓記石』です。この石碑には花郎党の精神根幹となった※“世俗五戒”の内容を示す記述がある貴重な資料となるものです。壬申とは昔の時代を表す干支の年号でこの石碑が作られたのが552年(=真興王13年)あるいは612年(=真興王34年)のいずれかと推測されています。

世俗五戒:新羅花郎の思想的な師匠の円光法師の教えで、世の中で守るべき5つの戒律という意味です。その内容は、

  • 王には忠誠を尽くす(事君以忠)
  • 親には孝行する(事親以孝)
  • 友には信頼を持って交わる(交友以信)
  • 戦いに臨んでは決して退かない(臨戰無退)
  • 殺すときには慎重を期す(殺生有擇)

というもの。

三国史記(サムグッサギ):1145年に完成した朝鮮三国時代の新羅・高句麗・百済の政治歴史変遷をまとめた歴史書。韓国に現存する最古の歴史書。

「花郎」の組織について

花郎(ファラン)”とはその字のように「花のようにきれいな男たち(美青年)」と言う意味です。その青少年たちを“花郎党”として国家的に体系化し、国家のための人材を養成しました。新羅は三国の中では最も古く建国したにも関わらず国家制度が遅れており人材育成のための教育機関(制度)がなかったといわれています。そのため“花郎党”を利用してエリート養成システムをつくり上げたと言われます。

事実この花郎出身者は後の三国統一(統一新羅)に大きく貢献しており、特に有名なのが金ユ信(キム・ユシン)で668年に三国統一に最大級の貢献をした名将です。
花郎党は花郎をリーダーとしてその下に貴族や平民出身の郎徒を率いたグループで組織され、そのリーダーには特に身分の高い※真骨(ジンゴル)の青年が多かった。通常は3~4人がリーダー格となるが大きい組織はで7~8人になることもありその下の郎徒も数百から数千人になることもあったようです。
この花郎党の総指導者は“国仙”と呼ばれ幹部となります。上記金ユ信は18歳で国仙に選ばれています。

通常この花郎には15歳~18歳までの青少年が3年間の活動が基本となっています。自然の中で共同生活をしながら体や心を鍛え、歌や舞、弓や剣術を習い全人的な教育を受けました。花郎の理念は個人の修養と鍛錬を通じた国への奉仕で、お互い道義を磨いて(相磨以道義)、歌や舞を楽しみ(相悅以歌樂)、名山大川を捜し回った(遊娛山川、無遠不至)。その中で謙虚・質素・社会奉仕を生活の信条としていました。

新羅では花郎の養成が国家の人材だけでなく歌や舞など文化的な発展に深く結びついていたのも興味深いところです。

真骨(ジンゴル)新羅の階級(身分)制度を骨品制といい、真骨は最上位で父親が王族。その中でも両親ともに王族の者を聖骨(ソンゴル)と呼び王になる資格があった。

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