ドラマ「トッケビ」キム・シンの時代背景と人物像の関係

 

ドラマ「トッケビ」では、高麗時代の武臣キム・シンがトッケビ(韓国語で“鬼”)になり永遠の命をもらう変わりに、その命を終わらせるための“トッケビの花嫁”を探し続けているフュージョンロマンスドラマです。

韓国の歴史ドラマは人物や時代の設定にモチーフとなったものが存在することが多いですが、今回もその花嫁を939年探し求めて現代に生きるトッケビを、高麗時代の武臣と時代背景を勝手に検証してみました。

“トッケビ”の高麗時代の武臣とは誰か?

このトッケビことキム・シンの人物と時代背景を探る上でポイントとなるのが、ドラマの冒頭から出てくる“武臣(神)”とトッケビになる原因となった“君主の裏切り”“逆賊としての死”あたりで検証してみます。

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単純に計算してこのドラマが制作された2016年からトッケビとして生きている939年を引くと1077年なので、この年がトッケビとして生まれ変わった年になります。時代背景は高麗時代(918年~1392年)とあるのでこの時代に武臣といわれたのは有名なキム・ジュン(金俊)がいます。キム・シン=キム・ジュンと名前も似ているのでトッケビ(キム・シン)のモデルとなったのはこの人が有力。実際最後は君主ではないが、家臣の裏切りによって逆賊として殺されています。ただ正確にはキム・ジュンが活躍したのは1260年ころなので時代のズレが200年ほどあります。

あくまでドラマの設定はフィクションなので、正確な時代は反映していません。仮にキム・ジュンがモデルだとすれば、その時の高麗王は第23代高宗から第24代元宗の時代になります。ドラマでトッケビ(キム・シン)が裏切りを受ける君主は若い王だったのでこの2人の年齢は(高宗は60代、元宗は40代)ドラマとは合致しません。

ただこの時代、高麗王朝の中でも「武臣時代」(1170年~1270年)と言われるほど武臣(武官)の権力が強かった時代で、隣国元との争い(侵略)が絶えなかった時代でもあります。人物の設定は戦いに明け暮れた武臣(神)なので、ドラマの中の高麗時代のキム・シンは“キム・ジュン”とみるのが自然です。

さらにキム・シンがトッケビになる前から彼に使えていた一族がユ(柳)氏一族で、現代でも世話役としているのがユ・ドクファとその財閥の祖父がユ・シヌです。この“ユ(柳)氏”から連想するのが、実際にキム・ジュンが武臣時代を終わらせる時に共に立ちあがったのが唯一文臣のユ・ギョン(柳璥/유경)です。これからもキム・シン=キム・ジュンと想像できます。

ドラマ「トッケビ」のモデル?!高麗の武臣キム・ジュンと時代背景

スクリーンショット_051418_064405_PM高麗王朝中期の武臣(?~1268年)で1170年~1270年まで続いた武臣時代(武人時代ともいう)を事実上終わらせた武将。100年近く武臣が政権を握っていたが、この政権に不満を持つ文臣と共に時の権力者崔竩を殺害、政権を王に戻した。

しかし政権をもった第24代元宗が元(モンゴル)の侵略を受けると、キム・ジュンは元との徹底抗戦を主張するも、元宗が元の傀儡政権となるのに不満をもち元宗を排除しようとした。しかし王側に寝返った部下の林衍(イム・ヨン)に殺害された。一説にはキム・ジュンを疎ましく思っていた元宗がイム・ヨンに殺害を命じたともいわれる。

高麗王朝の中期に李義方ら武官(武臣)によってクーデターが起こされ事実上の政権が武官(武臣)にあった時代を武臣時代という。もともと高麗を建国した王建は後高句麗の武将だったが、国の統治には中央集権にするために唐・宋の官僚制度のをとりいれた。これが文班(文臣)と武班(武臣)の2つの班を表す「両班」となる。

>>> 高麗初期についてはドラマ「麗」から知る

高麗王朝初期はこれまでの建国の歴史から新羅、(後)百済の王族や貴族が政権を握っていたが国は安定せず、官僚制度をうまく運営することで政権の安定を図ろうとした。958年に文臣の科挙制度が導入されると文臣が朝廷の官吏に登用され政権運営に関わるようになると文臣は武臣の上という構図ができあがる。

高麗王朝は地理的に北からの侵略を受けることが多く、その度に国土を守ってきたのは武臣だったが、その支配階級的な扱いに不満を持つ武臣は多く、1170年に起きた武臣の反乱により100年近く「武臣時代」が続くことになる。

 

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