韓国ドラマ『私のおじさん』のイ・ジアンの住むタルトンネと韓国貧民街

韓国のタルトンネは韓国ドラマ『私のおじさん(マイ・ディア・ミスター)』の主人公イ・ジアンが住む街として出てきます。車では行けない細く整備もされていない道やデコボコな登りづらい階段があり、家が密集している街並です。

『私のおじさん』の主人公イ・ジアンは、このような場所でギリギリの生活をせざるを得なかった状況で育ち、誰も信じず生きてきたが、貧しくとも仲良く協力し合いながら生きている人たちを見てどんどんと変わって行く姿が描かれています。

>>>ドラマ「私のおじさん」あらすじ・相関図・キャスト

ドラマ「私のおじさん」の貧民街“タルトンネ”と社会背景

貧困層の人たちが山の斜面に沿ってびっしり軒を連ねたような住宅をつくり、インフラもまともに整備されていない街を通称タルトンネ(달동네)と呼ばれてます。タル=月、トンネ=街、集落という意味を持ち、月に届くほど近い近い場所にあることから高い場所にある貧民街を指すようになりました。別名サントンネ(山の街)とも言います。

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タルトルネ

これはもともと韓国の都市が風水をもとに考えられ、山に囲まれた盆地や谷間に立地する場合が多く、平地に住居を確保するのが難しくなると、あぶれた人々は地価の安い山の斜面や丘に行かざるをえなくなり、だんだんとスラム化が進んでいきました。

当然、交通の便が悪く地価や家賃が安いため、経済的に苦しい人達が住むようになりタルトンネは貧民街として認識されるようになります。

ドラマでもハイセンスな流行の発信地、江南地区とは対照的に庶民の住む街としてよく出てきます。必ず“坂”と“階段”、“細い小道”がでてくるのでよく見るとドラマの設定がわかりますよ。またよく芸能人がボランティアとして冬にはタルトンネの住民にオンドル用の練炭を配ることもあります。

韓国のタルトンネでみる韓国の歴史と発展

現在のタルトンネが出現したのは、1910年以降の日本統治期以降と記録されています。それまでの武断統治から産業を興して住民生活水準を向上させる文化統治に転じたことで、農村部からの労働力が都市に集中し都市人口が増えたことが一因となっています。

さらに朝鮮戦争(1950年~1953年)により戦火で家を失った者や経済的に困窮した人々が増え、各地域にタルトンネが出現していきます。しかし1970年代の経済成長(漢江の奇跡)にともない新興住宅街が整備されたが、あまり効果はなく、1988年のオリンピックに向けてスラム街の一掃をかかげ強制退去など施策を行ったが、逆に住居を奪われた人々が新たにタルトンネを作る(江南地区九龍村)ことになりました。

その後、2000年代には各地で都市の再開発が行われ、タルトルネは姿を消していきます。それとともに昔(1970年代)の韓国を懐かしむノスタルジーの対象となり、現在では観光地化するタルトンネもあります。代表的なところでは、釜山広域市の甘川文化村やソウル最後のタルトンネといわれる城北洞(ソンプットン)があります。

このソウル特別市の北にある城北区城北洞は観光ツアーもあり、特に北井マウル(プッチョンマウル〈북정마을〉)は北側には大企業の会長や財閥、外交官・大使館の邸宅がある「富村」と南側にあるタルトンネの貧民街が隣接しているところです。対照的な2つがソウルの人々の縮図を見ているようで興味深い場所です。

>>> ソウル特別市城北区城北洞への行き方「韓国KONEST」

タルトンネの価値を再認識する韓国の市民活動

タントンネには よく壁画が描かれている場所が多く代表的は壁画村は、

  • ソウル:鍾路区・梨花洞(イファドン)
  • ソウル:西大門区・弘済洞ケミマウル
  • 忠清北道・清州:寿岩ゴル(スアムゴル)
  • 慶尚南道・統営:トンピラン壁画村 
  • 釜山:甘川文化村(カムチョンムナマウル)
  • 釜山:ホレンイマウル(安昌マウル)

今は観光地としても有名な地域です。

梨花洞(イファドン)の壁画はとても有名で多くの観光客が朝早くから夜遅くまで来るので住んでいる住人の方が階段に描かれていた絵を消してしまったところもあります。観光で行き壁画などを見て廻るだけでは、ここに暮らす方々の様子を伺い知ることはなかなかできませんが、この有名な壁画村よりもっとディープなタルトンネもあったりします。

また、現存するタルトンネにアーティストが移り住み、韓国の伝統文化や現代アートをコラボさせ新しい街に生まれ変わらせる場所も出てきて、街の美化と活性化につながっている活動も行われています。

>>> 韓国観光スポット梨花洞「路上美術館」(韓国KONEST)

 

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