朝鮮王朝の隠密 実在した暗行御史(アメンオサ)とは?

なにかフィクション的な存在ですが、本当にいたとされている隠密が“暗行御史(アメンオサ)”です。簡単に言えば内偵者ですが、地方官吏が何よりも恐れた存在でした。

 

○暗行御史(アメンオサ)の実態

暗行御史のいちばんの仕事は、中央から目の届かない地方官吏の監察や情勢の把握でした。国王直属の臣下として行政機関の一つ司憲府(サホンブ)におかれた。

司憲府:官僚の不正、風紀の取り締まりを行う役所。

文官として試験(科挙)に合格して役職について間もない20~30才くらいの若くて権力に染まっていない若い者がえらばれた。王直属なため王が必要としたときに三議政(領議政、左議政、右議政)の合意のもと王によって任命された。暗行御史になった事は任務が終わるまで国家機密とされた。また任命された本人も漢城(現ソウル)をでるまで自分の派遣地がどこなのか知らされなかった。また派遣地の人々に気づかれないようにみずぼらしい身なりをし、1日の移動は35キロを越えるほどハードな任務だった。任務を無事遂行できた確立は30%未満とも言われれている。様々な理由があったが、途中でなんらかの理由で亡くなる、山賊に襲われる、暗行御史を証明するものを途中でなくしてしまう等。

1509年の第11代中宗の時代よりあったとされているが、実際に史実として残っているのは1555年からである。それからおよそ300年朝鮮王朝末期まで続いた。任命されると「封書」(任命書)、「事目」(任務、派遣地の辞令)、「馬牌」(人足や馬を調達する)、「鍮尺」(度量金を計測する道具)を持たされそれぞれの派遣地で内偵を行った。

暗行御史は王直属ということや地方の官僚の是正を行う職務上の権限が必要であり、まだ若いにも関わらず従二品の品位が与えられた。また事を迅速に処理するために官僚の罷免権も持っていたとされる。しかし時には権力争いや弾劾の対象になり、若くして左遷や流罪になるものもいた。歴史上、有名な暗行御史は第21代英祖のときに“朴文秀(パク・ムンス)”です。また第22代正祖のときの丁若鏞(チョン・ヤギョン)も一時。暗行御史に任命されている。

 

こんな記事も読まれています



サブコンテンツ

このページの先頭へ