「屋根部屋のプリンス」ドラマの主人公ガクのモデルと時代

屋根部屋のプリンス」のプリンスこと世子イ・ガクは一体どの時代から来たのか?

名前と服装、会話から李氏朝鮮時代というのは間違いありません。ではその世子(セジャ)はだれがモデルなのでしょうか。ドラマはあくまでフィクションですが、そのモデルになった人物は“景宗”ということです。これだけではあまりピンときませんが、第20代景宗といえばわかりやすいですね。そうドラマ「トンイ」の時代です。第19代粛宗の長男で張禧嬪氏の息子です。

 

【景宗】

景宗は3歳で世子として冊封され(1688年生まれ)、1720年に李氏朝鮮第20代国王に即位した。1724年35歳の若さで亡くなる。粛宗の時代から続く党争の激しさによって、延ニン君(後の英祖、淑嬪崔氏の息子)を支持する老論と景宗を支持する少論が対立しており、その死因は毒殺とも病死ともいわれる。

ドラマの中でその景宗を連想させる部分がいくつかあります。①干し柿 ②醤蟹(ケジャン) ③世子嬪(嬪宮)の死 ④従兄の陰謀です。

①干し柿は、朝鮮時代のプヨンが謎ときの褒美に世子からもらったもの。
②醤蟹(ケジャン)はテヨンの好物だが、ガクは嫌い(呼吸困難に陥る)。
③世子嬪の謎の死を解明するためにタイムスリップする。
④従兄のテムによってテヨンは会社の後継者の地位を脅かされる。

一つひとつはバラバラですが、景宗の人物背景とあわせれば納得します。当時の医学では柿と醤蟹は食べ合わせが悪く(相克)これを食べた景宗は5日後に急死した。その際、薬として延ニン君が飲ませたとさせる参茶によって亡くなったという説や老論派による暗殺説など様々な憶測をよぶことになっています。

また景宗は世子のときに世子嬪(端懿王后)がいましたが、即位の2年前に亡くなっています。その後迎えた宣懿王后は延ニン君を後継から排除しようと別の王族を養子にしようとしましたが、その前に景宗が亡くなったので実現しませんでした。病弱で子供を残せなかったため後継には早くから延ニン君が世弟(セジェ:王位の後継者)とされていました。これも王の後継をねらった周りの画策による景宗の早死という事実に謎を残すものとなっています。

ドラマの中ではそれぞれの登場人物は現代に転生した(生まれ変わり)という設定なので(後々これが鍵になる)、重なる時代背景を意識して見るのも楽しいです。

 

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