イ・サンの長年の仇 淑儀文(ムン)氏とは?

 

歴史上あまり注目されていないけど興味深い人物の紹介です。ドラマ「大王の道」でユンソナが演じていたのが“淑儀文氏(スギィムンシ)”です。後の歴史にも大きく関わる事件「思悼世子の米びつ事件」の片棒を担いで陰謀に加担した人物ですが、他の名を残した“悪女”の評価には至らず世間的には周知度の低い人です。

身分が低かったためとるに足らない存在だったのか、重要視されていなかったのか真意はわかりません。(英祖の母、淑嬪崔氏からもわかるように女性の記録はあまり残っていません。)正祖(イ・サン)から廃位処分とされ蔑みの“文女(ムンニョ)”と呼ばれています。

 

(廃)淑儀文氏とは?

もとは宮女だった人です。英祖の長男の孝章世子世子嬪(セジャビン:世子の正室)趙氏の宮女だったとされています。孝章世子(ヒョジャセジャ)は思悼世子(サドセジャ)の兄で10歳で亡くなっています。いうなれば自分の息子の嫁に仕えていた者(当時は宮女は所有物)に手を出したということで思悼世子から憎悪されます。しかもこの時、英祖59歳でした。

そのようなこともあり思悼世子は父親(英祖)と淑儀文氏に対する嫌悪、文氏からすれば将来英祖の息子を生めば、王の跡継ぎ(世子)なるかもしれないという立場から思悼世子には敵対心がありました。そうなれば力の構図は明らかです。英祖側すなわち老論側となり思悼世子を追い落とそうと加担するわけです。当時思悼世子と敵対した中心人物、老論派であり領議政金尙魯(キム・サンノ김상로)と結託し文氏は弟と思悼世子を糾弾します。文氏の周りはその悪行に気づいていたようですが、英祖は思悼世子の悪評を信じてしまいます。結果、英祖は自分の息子を死に至らしめてしまうのです。

結局、文氏は女の子2人しか生まれず(和吉翁主、和寧翁主)、野望はかなわなかったわけですが思悼世子の息子(サン)が英祖の後を継いで第22代王正祖になったので復讐にあいます。(他にも盗みをはたらいた罪に問われています。)正祖が即位するとすぐに廃位、英祖の喪があけてすぐに賜死(毒殺)に処されています。また文氏の弟は官職剥奪の上、身分を奴婢へ落とされ、母親は済州島(チェジュド)へ流罪となっています。

これだけ見ると政治的とはいえ同情の余地がありません。身の程知らずというか、哀れです。後宮といえどもやはり品格がなくては。

済州島は李氏朝鮮時代、流刑地として江華島(カンファド)とともによく利用されていた場所。(本当に島流しです。)耽羅国(タンラ)という朝鮮とは異なる独自の文化・民族の国家があったとされる。 1404年李氏朝鮮の支配下におかれ朝鮮八道の1つ全羅道の中に組み込まれた。

 



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