イ・サンの親衛隊 当代きっての武官ペク・ドンス

 

第22代正祖の時代に“イ・サンの親衛隊”として有名な実在の武官です。日本では『剣士ペク・ドンス』としてドラマが人気です。実際の生涯はどうだったのでしょうか。

 

○若い頃から才能を発揮

ペク・ドンス(白東脩/백동수)1743年~1816年

第22代正祖時代に名をはせた武官で、正祖の親衛隊・壮勇軍として活躍した。ドラマの中では孤児となっていますが、実際は有名な武官の家柄の出身。祖父が庶子(正統な血筋ではない)だったため身分の差別をうけた。

若い頃に“剣仙(コムソン)”と呼ばれた金光澤(キム・グァンテク)に朝鮮剣術を伝授され、戦闘時の負傷に備えて医学を学ぶなど学問にも精通していた。1771年に武官の登用試験に合格したが、身分制度や官吏登用数の制限により出世(官職)が望めない状況で、貧困を理由に農業や牧畜をして生活していた。

 

○イ・サンの親衛隊としての転機

1776年に即位した正祖が、1784年に親衛軍営の壮勇軍を組織し庶子武士の登用を行う中、「槍剣術の第一人者」として推薦登用され正9品副司勇に任命された。その後1789年壮勇営(장용영)の哨官を経て4月に正祖より新しい武芸書(訓練のための兵書)を編纂せよとの命令を受けて『武芸図譜通志』の作成にたずさわる。

この兵書は1598年(宣祖時代)の「武芸諸譜」、1759年(英祖時代)の「武芸新譜」に6種の芸を追加して計24種の武芸が編纂された。また内容としては詳細な図解に説明書きがついたもので、“実戦・実践”を意識した画期的な書だった。この書は当時の学者から“武から文を起した”として高い評価を得ている。1790年4月29日に4巻24項の兵書『武芸図譜通志』として刊行された。

その後、地方の官職を経て1795年恵慶宮洪氏の還暦の誕生日に荘勇営哨官に復帰、訓練僉正に就任した。晩年1806年(第23代純祖時代)に当時の領議政の李秉模(イ・ビョンモ)がペク・ドンスが汚職(賄賂を受け取った)に関わったと進言して地方に流刑となるが、すぐに復権し1810年軍器副正に任命されている。

 



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