ドラマ「王女の男」の史実:セリョンとスンユは存在した!?

 

ドラマ「王女の男」はフィクションとされていますが、そのもとになっている逸話が存在します。

歴代王に関わる出来事は『朝鮮王朝実録』に記載されていますが、あくまで王がメインの内容であるため、王の政治や言動が中心に書かれています。その野史として政治に関わらないけれど後世に語り継がれた逸話をまとめたのが『錦渓筆談(クムゲピルダル)』というものです。

1873年に徐有英(ソ・ユヨン)によって書かれたもので民衆に伝わる王とそれに関わるの逸話をまとめたものです。

書き納められている内容と出版・編纂された時期があまりにもかけはなれていることからその信憑性が高いとはいえませんが、“ない”ことが逸話として残っているはずがないためこれが素地になった可能性はあります。

『錦渓筆談』の設定ではまず、首陽大君の娘・李世熺(イ・セフィ)=セリョンと首陽大君と敵対する金宗瑞(キム・ジョンソ)の孫・金次同(キム・チャンドン)が恋愛の末、夫婦となっています。チャンドンは宗瑞の二男・承壁(ピョンスク)の息子です。ドラマの設定のスンユは宗瑞の三男・金承有(キム・スンユ)として実在します。

しかし、癸酉靖難(クーデター事件)が起こったときに殺害された時、宗瑞は70歳ですのでその年齢jから推測すれば息子は30~40歳になります。しかもスンユはその時には結婚していたようなので、恋愛の設定には無理があるように思います。

一方のセリョンは、首陽大君の娘・世熺(セフィ)で父(世祖)のクーデターを批判したため処罰を恐れた母親が密かに家から逃がしたとされています。その逃避行先で出会ったのがチャンドンというわけです。史実では世祖には4男1女(ドラマの中では妹にあたる懿淑公主)がいたとなっていますが、いくつかの記録では1男2女と残されています。生まれたものの早世したため正式な記録として残っていないというのが大方の見方ですが、勘当になったため記録(戸籍)から消されたという見方もできます。

逸話は2人が家庭を築きある日、晩年に仏門に帰依した世祖が寺参りをしていたところ自分に似た男の子を見つけ、それが娘の子供であることを知り父娘は和解。宗瑞の孫チャンドンも罪には問わないこととし幸せに暮らしたという、ハッピーエンドです。

金宗瑞(キム・ジョンソ):1383年~1453年 第4代世宗のころより5代文宗、6代端宗の臣下として仕えた政治家。特に世宗からの信頼は厚かった。癸酉靖難のときに首陽大君(7代世祖)に長男と共に殺害される。三男が承有(スンユ)。

 



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