宮廷で生き抜くイ・サンの実母 恵慶宮洪氏とは?

 

朝鮮王朝の歴史の中で特殊な地位にいたのがこれから紹介する“恵慶宮洪氏”です。本来なら正統な王妃になってもおかしくない立場でしたが、夫思悼世子の死によってそれがかなわなくなります。しかも夫は罪人として地位と名誉を落とされたにも関わらず、生存中の恵慶宮の女性としての地位は2番目です。その経緯をみてみましょう。

 

○意外に打算的な女性の恵慶宮洪氏

朝鮮王朝の中で人気のある第22代王正祖(日本ではイ・サンで有名)の実母です。また父親の英祖との確執の末、非業の死をとげた思悼(荘献)世子(サドセジャ)の正妻でもあります。本来なにもなければ順風満帆な人生を送れる立場ですが、そううまくはいかなかったようです。家柄はよく、英祖の治政に領議政(行政の長、総理大臣みたいなもの)まで務めた洪鳳漢が父です。以前イ・サンの相関関係でも触れましたが洪鳳漢は英祖を王にし、思悼世子を死に追いやった“老論派”の重鎮でした。弟、叔父も要職についていました。

当時の政治情勢を知れば恵慶宮が微妙な立場にあったことが想像できます。直接陰謀に加担することはなかったものの、自分の夫(思悼世子)を助ける行為は行おうとせず傍観者の状況だったようです。そのころ既に息子サンがいたので(他の男子がいない)、夫が王になるより息子が王になるほうが実害が少ないと考えたのかもしれません。結構、打算的です。

個人的に仮説を簡単に。

【夫(思悼世子)が王になった場合】
老論派の粛清⇒実家・親戚一同罪人⇒恵慶宮は廃位(宮廷から追放)⇒罪人の家門⇒実家の没落

【夫(思悼世子)が亡くなった場合】
息子サンが跡継ぎ⇒息子が王になる⇒国母として地位は確保⇒実家の罪軽減⇒没落は間逃れる

天秤にかけた場合、少しでも実家への実害が少ないほうが良いです。夫が優先でなかったのが残念ですが、血筋を守る意味からすれば息子のサンがいるので責務は負っていることになります。この時代女性が安泰に暮らすひとつの手段だとすれば、それもありでしょう。

息子サンが王になると、自分の父親を死に追いやったということで老論派の粛清を行います。この時洪一族もかなりの仕返しにあいます。さすがに国母となった母親には手は出せませんでした。また正祖(サン)の祖父にあたる洪鳳漢は思悼世子の死に関しては、静視の姿勢をとっていたため罪に問うことができませんでした。しかし恵慶宮の叔父にあたる洪麟漢は老論派の中心となって思悼世子を追い込んだとして賜死となっています。

恵慶宮洪氏の当時の出来事や思いを書き綴った本が「閑中録」です。この記録は当時の宮中の生活を知る貴重な資料となっていますが、書き綴られているのは、夫の思悼世子の事件に関して傍観していた様子とその事件に関して実家が不遇な目にあう嘆きや辛みと名誉の回復を願ういい訳が中心のものです。はたして同情に値する女性だったのか?という疑問があります。

 



このページの先頭へ