イ・サン後の朝鮮王朝の混乱と運命

 

イ・サンこと第22代朝鮮王世祖は歴代の朝鮮王の中でも第4代世祖とならんで人気の高い王です。革新的な政策を行ったことや、悲劇を乗り越えて王になったこと、なにより話題の多かったことで一般に親しみやすいというのがあるのかもしれません。

 

○正祖の死と疑惑

そんな正祖ですが志半ばで亡くなってしまいます。その後は順調とは言いがたく混乱と王朝の衰退を招いていきます。しかし病気を患っていたとはいえ急死するような病状でもなかったといわれ、暗殺説がでてくるのもうなずけます。正祖後の混乱の発端となったのが先代の英祖の継妃である貞純大王大妃の“垂簾政治”でした。正祖の後を継いだ第23代純祖は即位当初まだ11歳と幼く政治の経験すらなかったことで貞純大王大妃名乗りをあげたわけですが、これには王室のしきたりと伝統をうまく利用した貞純大王大妃の思惑があったことが想像できます。

通常、王が亡くなるときには必ず大臣が呼ばれます。(詳しくは慣習:葬儀)これは次期国王をだれにするかを遺言として残すためです。この時代、王妃はもちろん家族は王の死には立ち会えませんでした。しかし正祖の死に際には貞純大王妃だけだったため最後の正祖の状況をしるのは彼女だけでした。ちょうど大王妃が薬湯を与えるために見舞いに来た最中に亡くなったことから毒殺説も言われています。

 

○正祖死後の混乱と垂簾政治

正祖亡き後の跡継ぎは決まっていましたが、純祖は世子になって間もなくの即位でしかも11歳と幼かったため政治を行える状態ではありませんでした。そこで貞純大王大妃は自分の垂簾政治を正当化するために正祖の道理を持ち出し大臣達を納得させます。つまりなにより優先して守るべきは王となった純祖であり、それと同時に王室を守ることを使命とする責務は王室の長である自分(貞純大王大妃)にあるということでした。

それにより垂簾政治を実現させたわけですが、実質政治を動かしているのは貞純大王大妃のほかなりませでした。その後、貞純大王大妃は自分の一族や老論僻派の者を優遇し始めそれによって正祖の政策はことごとく反故にされ以前の慣習が復古することとなり、政治の私物化がみられるようになっていきます。これが朝鮮王朝の衰退を早めたとも言われています。この政治の私物化が俗にいう“勢道政治”です。その最たるものが安東金氏一族です。第23代純祖の王妃、純元王后金氏から朝鮮王朝末期の第25代哲宗に至る三代に渡って王妃を輩出し、勢道政治を行っています。

 



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