朝鮮王朝家系図:正祖から高宗(末期)まで

正祖が亡くなったあとの混乱は跡継ぎにもみてとれます。王の直系が極端に少なくなったこと(少子による)で外戚の勢道政治を助長させ王朝の衰退へとつながったことは否めません。正祖を取り巻く王室と跡継ぎを王朝系図からみてみます。

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○第22代正祖~第26代高宗(王朝の終焉)

第22代正祖~第26代高宗(王朝の終焉

 

恩彦君(※1):ウノングン。

イ・サンの異母弟。正祖の孝懿王后に子供がいなかったことから、洪國栄が恩彦君の息子を世子にしようと画策。それに関連して流罪となる。のちにカトリックへの宗教弾圧政策によって死罪となる。

恩信君:ウンシングン。

恩彦君と兄弟。思悼世子が亡くなると宮殿を出て暮らすようになるが、生活が苦しかったため洪鳳漢より経済的支援を受けていた。英祖の時代に王族の官位をもらうが、恩彦君と徒党をくんで町を徘徊し市廛(商人)から借金をして返さないことが英祖の知るところとなり流配になりその地で病死した。正祖の計らいで南延君を養子として家督を継がせる。

恩全君:ウンジョングン。

イ・サンの異母弟。正祖暗殺の件で謀反の疑いをかけられ賜死。息子がおらず家督を継ぐ者がいなかったため恩彦君の二男豊渓君を養子にする。

南延君(※2):ナニョングン。

仁祖の血筋の子孫でその四男・興宣大院君の子(二男)が第26代高宗となる。もともと王族としての待遇は曽祖父の代で終わっており、本人は常人(両班より下)として暮らしていた。

全渓大院君:チョンゲテウォングン。

恩彦君の五男で第25代哲宗の父。息子が王になったことで追尊された。

 

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