李氏朝鮮時代の王宮(徳寿宮、景福宮)

 

韓国の歴史ドラマでは王室の人々が生活している王宮がよく登場します。また女官や官吏たちが宮殿の中を行き交う場面もあります。会話の中ではそれぞれの居住している宮殿の名前で呼ばれたりすることもあります。

現在ソウルを中心に5つの王宮殿があり李氏朝鮮王朝時代の面影を見ることができます。その5つとは徳寿宮(トクスグン)・昌福宮(キョンボックン)・昌徳宮(チャンドックン)・昌慶宮(チャンギョングン)・慶煕宮(キョンヒグン)です。こんなに多くの王宮があるのかと不思議ですが、元々の王宮景福宮で他は王族が自分の権勢を誇示するためにつくった私邸(離宮)です。

それぞれ歴史の変遷のなかでその役割を担っています。現在歴史ドラマで利用されているのは創建時の面影をいちばん色濃く残しているといわれる“昌徳宮”をモデルにしています。具体的な変遷を王宮の創建時からみてみます。

 

1.徳寿宮(덕수궁/トクスグン)

徳寿宮_大漢門

朝鮮王朝第7代世祖が長男桃源君(義敬世子)の死去に伴いその妻だった粋嬪韓氏(成宗の生母、後の仁粋大妃)が宮廷を去るときに住居として与えた私邸。息子の月山大君(ウォルサンテグン、成宗の兄)がそれを引継ぎ私邸とした。1593年に第14代宣祖が戦火(豊臣秀吉の文禄の役)で荒廃した景福宮の変わりの臨時王宮としていた。1611年第15代光海君が居住し“慶運宮(キョンウングン)”としたが1615年昌徳宮に移ると、以後274年ものあいだ主人不在の王宮となった。

1896年閔妃(明成皇后)が暗殺されて身の危険を感じた第26代高宗が改修を行い、1907年までここを住居とし王宮として使用された。1904年の大火でほとんどの殿閣が焼失したが、1905年には残った重明殿(チョンミョンジョン)で日韓保護条約が締結された。1907年に即位した第27代純宗は昌徳宮に移り、以後ここに残った高宗の長寿を願う意味で今の“徳寿宮”と呼ばれるようになった。

☆正殿:中和殿(チュンファジョン/중화전)
☆寝殿:咸寧殿(ハンニョンジョン/함녕전)・・高宗の寝殿。崩御もここ。

 

2.景福宮(경복궁/キョンボックン)

景福宮_勤政殿

李氏朝鮮王朝初代李成桂により1395年に漢陽(ハニャン:現在のソウル)に王宮として創建された。1392年に李朝を開城に建国し1395年に遷都するのに合わせて景福宮を王宮とした。風水に基づき、中国の紫禁城をまねたとされる。以後約200年もの間、正宮として利用された。

1553年には大火で焼失したが再建され1592年、第14代宣祖のときに文禄の役(豊臣秀吉の朝鮮出兵)で焼失し以後、王宮としては昌徳宮が正宮として利用されたため270年間再建されなかった。

その後、1865年に第26代高宗の父興宣大院君(フンソンデウォングン)が再建に着手し1868年住居と政務を景福宮へ移したが1896年の閔妃暗殺以降、高宗は徳寿宮を移り、その後昌徳宮へ移ってからは王が住むことはなかった。

1912年日本の朝鮮統治が始まると王宮内に朝鮮総督府が建設された(1996年に景福宮復元計画にともなって解体)。大韓民国が建国されてからは王宮の後方に大統領官邸(青瓦台)が置かれている。

☆正殿:勤政殿(クンジョンジョン/근정전)
☆便殿:思政殿(サジョンジョン/사정전)
☆内殿:康寧殿(カンニョンジョン/강녕전)・・王の寝殿/交泰殿(キョテジョン/교태전)・・王妃の寝殿

昌徳宮の見取り図は→こちら(外部リンク)

>>>昌徳宮、昌慶宮、慶煕宮

 



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