ドラマで見る李氏朝鮮の専門機関“成均館ソンギュンガン”とは?
韓国ドラマ「ときめき☆成均館スキャンダル」の舞台となった“成均館(ソンギュンガン)”は、将来の国を担うエリート官僚を育てる専門機関です。学校といったほうがよいかもしれません。李氏朝鮮の初代太祖の治世1398年に前王朝の高麗時代の成均館を引き継ぐ形で設立された最高教育機関。高麗王朝の忠烈王が国子監を“成均館”と改名した。
全寮制で寝食を共にしながら科挙の本科(本試験)に合格するための勉強をした。この成均館に入るためには科挙の予備試験でもある小科(雑学)に合格する必要があった。予備試験といっても小さい頃から勉強しなくては合格できるものではなかったため、必然的にその環境にある金銭的余裕のある両班の子息しか入学できなかった。科挙の受験資格は両班から常民(上から3番目の身分。賤民の上で人口はいちばん多かった。)まであったが、実際には高官を目指せる文科(※1)は両班が独占していた。
国からの期待も大きく学生には土地や奴婢の提供など手厚い補助があたえられた。また生進試という試験に合格すれば下級官僚に任命されることもあった。成均館を統括する役職には“言論機関”の一つ「弘文館(ホンムングァン)」の官僚が兼任していたためその影響は大きく、国政批判や抵抗運動(デモ)、国王への上訴も役割として行ったという。しかしそれを逆手にとられ派閥党争に利用されることも少なくなかった。
初期の頃の定員は150名でしたが1429年(第4代成宗治世)には200名に増員。その後第21代英祖時代には経費不足により120名へ減員、李氏朝鮮末期には100名と縮小していった。現在ソウルにある私学の“成均館大学”は1946年にこの成均館を基礎として設置された大学で、韓国では最古の大学といわれている名門校です。
※1:科挙には文官になるための文科、武官になるための武科、医官などの専門職につくための雑科があった。もともと高麗時代につくられた両班は文臣(文班)と武臣(武班)の両方からなる官僚制度を表すものだったが、李氏朝鮮時代になり身分制度を示すものとして変わっていった。