韓国ドラマ「トンイ」の主人公、淑嬪崔氏(スクビンチェ)の生涯とは?

ドラマ「トンイ」の主人公トンイこと淑嬪崔氏スクビンチェは公式な記録がほとんど残っていない人物です。同時代の後宮に生きた張禧嬪氏チャンヒビンとは対象的です。

スクビンチェの“淑嬪スクビン”とは呼称で側室の最上位正一品の位“嬪ピン”に呼称の“淑スク”をつけたものです。“崔チェ”が氏名です。この時代には女性の名前を口にするのははしたないという風習があったため名前は使われませんでした。“淑”という字が表すように控えめで思慮深い人だったようです。

第21代英祖(イ・サンの祖父)の生母というのは系譜にも書かれていることですが、それがなければほとんど世に知られない存在だったかもしれません。事実、淑嬪崔氏スクビンチェに関する出生や後宮での暮らしぶりの痕跡を垣間見る史実はほとんどみあたらないようです。当時の完全な階級社会では身分の低い者が王の生母であるという事実はタブーだったのかもしれません。

 

 

スクビンチェはどういう経緯で王と出合ったのか?

王と出会うためには宮中にいなくてはその機会はないわけですが、一般に言われているのは粛宗の第二王妃仁顕王后宮女(クンニョ)かその宮女のムスリ(雑用係)と言われています。また最近の有力説では内人(ナイン)=宮女・女官で針房(チムバン)から仁顕王后つきの宮女となったとされています。家族に関する史実から7歳~10歳の時期に宮中にはいったと推測されています。

その後、仁顕王后が張禧嬪チャンヒビンによって廃位に陥った時期に王と宮中で出会ったことは確かなようです。廃妃(ペピ)仁顕王后の誕生日をけなげにお祝いしていたところ宮中散策中の王の目にとまったと伝えられています。

こうして側室となったわけですが、ここでも張禧嬪氏チャンヒビンとの対立となります。しかし思慮深く謙虚な性格から表立った争いから逃れています。粛宗との間には3人の男の子をもうけるものの、成人したのは延礽君(ヨニングン):後の英祖ひとりだけです。当然、張氏からの嫌がらせはあったようで妊娠中にかなりひどい仕打ちを受けたようです。それもそのはず、世継ぎの順位が張氏の息子が(世子セジャ)一位ではありましたが、その下に男の子が生まれれば順位から二位(世弟セジェ)となるため王の世継ぎの地位が危うくなります。どうしても息子を王にしたい張氏からしてみれば目障りですしそのために仁顕王后を廃位にまで追い込んだわけですから。。。

事実、粛宗治世の後期からイ・サンで知られる正祖の時代まで後継者をめぐって政局を巻き込む激しい権力党争が起きています。

晩年は理由はわかりませんが王宮から退いています。その後、病がちとなり1718年に息子延礽君(ヨニングン)の私邸で亡くなり(享年49歳)ました。

 

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☆淑嬪崔氏スクビンチェの出ているドラマ☆

○1995年SBS『妖婦 張禧嬪チャン・ヒビン』:ナム・ジュヒ
○1998年MBC『大王の道』:キム・ヨンエ
○2003年KBS『張禧嬪チャン・ヒビン』:パク・イェジェン
○2010年MBC『トンイ』:ハン・ヒョジュ
○2013年SBS『張玉貞(チャンオクチョン)愛に生きる』:ハン・スンヨン(KARA)

 

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