韓国ドラマ「トンイ」でみる政治と後宮の勢力図

 

韓国ドラマ「トンイ」では後宮に関わる事情もところどころ垣間見れて、その当時の女性がいかに政治的な立場におかれていたかがよくわかります。しかも粛宗の治世は党争の激しかったころとされ、政治のバランスをとるために3度官僚の入れ替え(「換局」という)を行っています。

○1回目:1680年 庚申換局(キョンシンホァングク)南人派 ⇒ 西人派(少論/老論)
粛宗の生母である明聖王后が政治的に西人派につき、粛宗の第二王妃の仁顕王妃西人派として入宮した。粛宗の曾祖母にあたる荘烈王后南人派でその女官とされているのが禧嬪張氏です。仁顕王妃に子供ができず、1688年に張氏が後の景宗(ユン)を生み“嬪ピン”(側室最上位)になる。

○2回目:1689年 己巳換局(キサファングク)西人派 ⇒ 南人派
同じ年にユン(景宗)が大世子(王の後継ぎ)になり仁顕王妃は廃位、翌年1690年には張氏が王妃になる。そのため張氏の後ろ盾の南人派の勢力が拡大。張氏は“国母クンモ”(王の生母を尊敬する呼び名)として権力を振るったが、粛宗の心は離れていった。そこで淑嬪崔氏の登場です。

○3回目:1694年 甲戌換局(カプスルファングク)南人派 ⇒ 西人派
粛宗が南人派の勢力に脅威を感じ始めていたころに、仁顕廃妃の貧困生活に民衆が同情をおぼえることとなり西人派はそれをもとに廃妃の復位を望むようになる。(閔氏重定運動:閔氏は仁顕王妃の氏名です。)この年、粛宗は仁顕王妃を復位させ張氏を側室に降格させる。同年、崔氏が後の英祖(クム)を生む。その後、勢力を得た西人派はユン(景宗)よりの少論派とクム(英祖)よりの老論派に分かれて党争が激化していきます。

政治的な背景は後宮の勢力図も変わるのはよくある話しです。いわゆる“外戚”(母方や王妃の親戚)と呼ばれる人々が、権力を手に時には王の地位まで危うくすることから、外戚と官僚派閥の粛清を行えるかが王の政治手腕のみせどころでしょう。

このトンイでは詳しくは表現されていませんが、西人派と南人派の間での策略がまさに権力党争です。ドラマはトンイを中心にこの策略が繰り広げられますが、これはあくまでドラマの中での演出です。その中には実際の史実をもとにしている出来事もありますので、これがややこしのですが。。

 

【ドラマ「トンイ」で見る後宮】登場人物/キャスト

トンイ チャンヒビン 王妃 明聖王后 仁元王妃
ハン・ヒョジュ イ・ソヨン パク・ハソン パク・チョンス オ・ヨンソ
(トンイ/淑嬪崔氏役) (オクチョン/禧嬪張氏役) (仁顕王后/第二王妃役) (明聖王后/大妃役) (仁元王后/第三王妃役)
ドラマ“トンイ”の主人公。正確な名前は不明。淑嬪崔氏として第21代英祖の生母。 韓国史上“三大悪女”の一人といわれる。名前をチャン・オクチョン、第20代景宗の生母。 粛宗の二番目の王妃。王朝のなかで幾人か王妃を輩出した氏族閔氏の出身。最後まで世継は生まれなかった。 第19代粛宗の生母であり、第18代顕宗の唯一の王妃。西人派の後ろ盾。張氏を嫌悪する。 粛宗3番目の王妃。仁顕王妃が亡くなったためその後に入宮。後の英祖を養子にする。

 



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